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頭の理解と心の理解
2011.08.19 Friday
昨日に引き続きまた日記を書こうかと思います。
書くネタは実は色々あるのです。 今日は「理解」について書いてみようと思います。 二十数年生きてきてようやく近頃になって感じているのは、「理解する」とひとことで今まで片付けてきていたけれど、理解には「頭の理解」と「心の理解」の二種類があるんだなと思いました。 どういうことかというと、例えば私は自分の漫画を面白くするために日々勉強していますが、「こうすると面白くなる」とテクニックを本などで読んで、その理屈もわかって納得したとします。 それは貴重な知識なのですが、これだけでは完全に理解したとは言えないのです。 理屈までを納得すること。 ここまでが頭での理解なんです。 けれどここまでの理解では、実体験をもって理解をしていないので、いざ本番となると使えない。 頭で理解したあと、実体験を経て、心で理解しないと、本当に理解したとはいえないのです。 心で理解するとは。 …先程から説明し始めてみると、言葉で説明するのはとても難しいと感じていますが、頭の理解の先にある理解のことです。 ひとつのものごとに対して、「分かった」と思うことが2回あることがこれまでの経験で分かりました。 その1回目が頭の理解で、2回目が心での理解です。 ただし、1回目の頭の理解はしばしば無い場合があります。理屈を説明してもらっても納得できなかった場合です。 また、1回目の頭の理解をしても、2回目の心の理解まで達せずに終わる場合もあります。 これをどちらも経験すると計2回になります。 このことが分かると、勉強をより効率よく進めることができます。 漫画を書くことは、頭の理解だけでなく、心で理解して技を習得し使いこなせるようにならないといけないので、頭の理解をして、次に心の理解と段階を踏んで理解できるように訓練のプログラムを組めばいいというわけです。 まずは知識を頭で理解して、次のステップで実践にうつす。 実践をしてみて「分かった!」と感じたら、心の理解までが完了したということです。 一度の実践で分からなければ何度でも実践すればいつかは分かると思います。 だから結局、ものすごい勢いで知識だけを詰め込んでも、心の理解まで達していないと、使い物にならないんですよね。 知識は知識でしかないのです。 ゆっくりと、ひとつひとつ確実に実践で理解していくことが重要なのだと感じています。 翼をくださいとイカロス
2011.08.18 Thursday
すっかりご無沙汰になってしまいました。
久しぶりの日記です。 私は『翼をください』という歌が大嫌いなのですが、なぜ大嫌いなのかについてちょっと書いてみようと思います。 「今私の願い事が叶うならば、翼が欲しい。 富とか名誉ならばいらないけれど翼が欲しい。 この大空に翼を広げ飛んでいきたい。 悲しみのない自由な空へ翼はためかせゆきたい。」 思い出して書いただけですが、だいたいこんな感じの歌詞だと思います。 この歌詞を聞くと腹が立ってなりません。 彼だか彼女だか知らないけれど、この歌詞から読み取ると、所詮人間は翼を持つことはできないことを、知った上で言っているのだと思います。 できないことを知っていて、それをなぜ望むのか? 現実に目を向けろと言いたい。 でもそれは人間の性というか、できないからこそ切望するのは分からなくはないです。 しかし望むからには努力を見せて欲しい。 翼が欲しいと言いながら、彼女(彼)は何もしていません。 欲しい欲しいと夢見て現実を嘆いているだけです。 ただのクレクレ厨です。 それに比べて、翼が欲しいと願っている似たような内容のイカロスの歌。 実は似ているけど全然違います。 歌詞を思い出してみましょう。 「昔ギリシャのイカロスは、ろうで固めた鳥の羽根、両手に持って飛び立った。 雲より高くまだ遠く、勇気ひとつを友にして」 同じ翼を欲しいと願う人間の歌ですが、どうですかこのイカロスの行動力は。 望みを持ったあと、行動することこそが大事なのです。 結局イカロスは落ちて死んでしまいましたが、高くまで飛んで夢を叶えることが出来ました。 一見、同じような歌でも、実はこんなに違っているんです。 改めて読むと、翼をくださいは「悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい」というところから、もしかしたら、とても悲しいことがあったのかもしれないですね。 大切な誰かが亡くなったりしたのかも知れません。 もしそうならなんとか許せます。 つらい悲しみは、人間どうしたって、目を背けたくなりますからね。 でも、そうでなければ、現実から目を背けるべきではないと思います。 望むのなら、行動をともなわなければいけません。 夢は与えられるものではないのですから。 きっと、もし与えられたものなら、欲深い人間はさらなる欲を見せるでしょう。 |